人のことは、よく見える。
けれど、自分のことになると、途端にわからなくなる。
振り返ると、私はずいぶん長いあいだ、そんな生き方をしてきたように思います。
今でこそ「ご先祖セラピー」という言葉を使って活動していますが、最初からご先祖について何かを伝えようと思っていたわけではありません。
始まりにあったのは、もっと素朴な問いでした。
「なぜ人は、こんなに頑張っているのに、同じところで苦しくなるのだろう。」
そしてそれは、いつの間にか、私自身への問いにもなっていきました。
人に見られ、期待に応える世界で
十代の頃、私は芸能活動をしていました。人に見られ、選ばれ、評価される世界です。
華やかな場所ではあるけれど、その裏側で、評価されるために努力を重ねながら、疲れていく人の姿も見てきました。その後、私は銀座のクラブで働くようになりました。
そこでは、社会的には大きな成功を手にしている方々と接する機会が増えました。
仕事では何十人、何百人という人を動かしている。大きなお金を扱い、難しい判断をしている。
それでも、話を聞いていると、家族のことになると言葉に詰まったり、誰にも言えない不安や寂しさを抱えていたりすることがありました。
外から見える成功と、その人が内側で感じていることは、必ずしも同じではない。
私は少しずつ、そんなことを考えるようになりました。
そして同時に、私自身もまた、人からどう見られるか、何を期待されているかを敏感に察し、その場に必要とされる自分でいようとしていました。
必要とされることは、うれしい。けれど、期待に応え続けていると、「私は、本当はどうしたいのだろう」
が、わからなくなることがあります。私も例外ではありませんでした。
場所を変えても、残るものがあった
芸能や銀座の世界を離れたあと、私は不動産投資や事業運営に関わるようになりました。
華やかな世界から離れ、もっと確かな基盤をつくりたいと思ったのです。
仕事を覚え、経営に携わり、現実的な判断を積み重ねていきました。
同時に、人生相談に携わるようになり、16年以上にわたって、1,000人を超える方々のお話を聞いてきました。
家族のこと。仕事のこと。お金のこと。健康のこと。生き方のこと。
相談に来られる方の中には、社会では十分な力を発揮しているのに、家族の前では身動きが取れなくなってしまう人がいました。
そして、それは私自身にも覚えのある感覚でした。
人のことなら、冷静に考えられる。仕事なら、決められる。でも、家族のことになると難しい。
なぜなのだろう。その問いは、だんだん私自身の家族へ向かっていきました。

家族の中で、私は「動く人」になっていた
私は、家や土地、財産に関わる現実にも向き合ってきました。
介護。相続。親族との問題。家族から何か連絡が入れば、対応する。
誰かが困っていれば、動く。残されたことがあれば、片づける。
もちろん、最初から、「私は家族の問題を引き受ける人になります」と決めた覚えはありません。
けれど、気づいたときには、「何かが起きたら、私が動く」ことが当たり前になっていました。
私はこれを、自分の性格だと思っていました。
責任感が強いから。放っておけないから。私がやったほうが早いから。
でも、あるとき考えたのです。
これは本当に、私一人の性格だけから始まったことなのだろうか。
家族の中には、誰かから正式に教わったわけではないのに、いつの間にか覚えていることがあります。
誰が我慢するのか。誰が家族を支えるのか。お金をどう扱うのか。
困ったとき、人に頼っていいのか。
弱音を吐いていいのか。
私たちは、何もないところから自分の生き方をつくっているわけではない。
そう考えるようになりました。
4歳の息子が言ったこと
あるとき、私は幼かった息子に、家族についての昔の出来事を話したことがあります。
深刻に相談したわけではありません。
ただ、「ほんと、あのときはむかついたんだよね」と、胸の中に残っていたことを口にしただけでした。
すると息子は、しばらく黙ったあとで、こう言いました。
「お母さんが苦しかったのは、おじいちゃんも苦しかったからなんだね」
私は、その言葉に少し驚きました。
その瞬間、何かの答えがわかったわけではありません。
父のしたことが正しかったと思えたわけでもありません。
ただ、それまで「私を苦しめた父」として見ていた人にも、
私の知らない時間があり、私の知らない事情があり、一人の人間として生きてきた人生があったのではないか。
そんな視点が、初めて自分の中に生まれました。
相手を許すこととは違います。
傷ついたことを、なかったことにすることでもありません。
けれど、
一人の人を、その人との関係だけで見なくてもいいのかもしれない。
この視点は、その後の私にとって、とても大きなものになりました。
私は、祖父のことも知っているつもりだった
私の中でもう一人、大きな存在だったのが祖父です。
祖父は、生前、私にこう言いました。
「道を聞かれる人になりなさい」
何の話をしていたのかは、もう覚えていません。
それなのに、その一言だけは残っています。
祖父が亡くなったあと、私は祖父の遺したものを見直したり、祖父を知る人たちから話を聞いたりするようになりました。
そこで気づいたことがあります。
私は祖父を「祖父」として知っていました。
でも、一人の少年だった祖父。若かった頃の祖父。仕事をしていた祖父。
迷った祖父。誰かに支えられた祖父。
そうした一人の人間としての祖父のことを、私はほとんど知らなかったのです。
家族とは、不思議なものです。
近いからこそ、知っているつもりになる。
けれど、役割の向こう側にいる「その人自身」については、意外と知らないことがあります。
一つの形見から見えてきたもの
祖父の言葉や、家に遺された写真、手紙、時計、仕事道具。
そうしたものを見つめるうちに、私は形見についても考えるようになりました。
形見というと、誰かが亡くなったあとに残されたモノを思い浮かべます。
もちろん、それも形見です。
でも、一つのモノを見ていると、その奥にあった生き方まで思い出すことがあります。
仕事を大切にしていたこと。
家族を守ろうとしていたこと。
人に迷惑をかけまいとしていたこと。
誰にも弱音を見せなかったこと。
受け取ってきたものには、残していきたいものもあれば、
「私は、これはもう続けなくていい」
と思うものもあります。
そこで、私の中に一つの考えが生まれました。
受け継ぐことと、背負い続けることは違う。
大切なものは受け継いでいい。
でも、苦しかった生き方まで、そのまま繰り返す必要はない。
自分のところで終えるものがあっていい。
そのままではなく、自分なりの形へ育て直して、未来へ手渡すものがあってもいい。
過去を否定するか、すべてを受け入れるか。
その二択ではなく、
自分で受け継ぎ方を選ぶ。
私は、そのことを考えるようになりました。

1,000人以上の相談から見えてきたこと
人生相談を続ける中でも、「私はどうして、また同じことをしてしまうのでしょう」という問いに何度も出会いました。
親の頼みだけは断れない。
何かが起きると、必ず自分が間に入る。
お金を持つことに、なぜか罪悪感がある。
弱音を吐けない。人に頼ることができない。それをすべて、「あなたの性格です」「もっと強くなりましょう」で終わらせることに、私は違和感を持つようになりました。
もちろん、その人自身の選択や責任はあります。けれど、今の自分だけを見ていてもわからないときには、どんな家族の中で育ち、何を見て、何を聞き、何を「当たり前」として覚えてきたのか。そして、その前の世代には、どんな人たちがいたのか。少し視野を広げてみることで、初めて見えてくることがあります。
それは、「ご先祖が原因だった」という答えを見つけることではありません。むしろ、「私は、ここから何を選ぶのか」を考えるために、背景を知ることです。
「ご先祖セラピー」という名前になった
こうして、自分自身の経験と、これまで多くの方のお話を聞いてきた時間の中から、少しずつ今の考えが形になっていきました。
一人のご先祖。一つの形見。そこから、その人の人生を見つめる。
自分が何を受け取ってきたのかを知る。
そして、何を受け継ぐのか。何を自分のところで終えるのか。
何を育て直して、未来へ手渡すのか。
それを今を生きる自分が選び直していく。
私は、この営みを「ご先祖セラピー」と呼んでいます。
そして、一つの形見のような手に取れるものから始める方法を「形見メソッド」としてまとめ、「ご先祖カルテ」では、家族の中で繰り返されてきた役割や生き方を整理して見つめています。
ご先祖を知ることが、目的ではない
私は、ご先祖を完璧な存在だとは考えていません。
ご先祖もまた、迷い、失敗し、誰かを傷つけ、誰かに助けられながら、一つの時代を生きた人たちです。
だから、見上げるのではなく、見つめ直す。
そして、過去に答えを預けるのではなく、最後には自分自身へ戻ってくる。
「私は、ここからどう生きたいのだろう。」
その問いに答えるのは、ご先祖ではありません。
今を生きている、自分です。
ご先祖を知ることは、過去へ戻ることではない。
自分がどこから来たのかを知り、ここからどこへ向かうのかを、もう一度、自分で選ぶこと。
ルーツと深くつながるほど、人生は自由になる。
私は今、この考えを「ご先祖セラピー」として、本や講演、日々の活動を通して伝えています。
けれど、私自身も、すべての答えがわかったわけではありません。
今でも家族のことに迷い、昔の自分を思い出し、「あれは何だったのだろう」と考えることがあります。
だからこそ、これからも見つめ続けたいと思っています。
過去をきれいな物語にするためではなく、ここからの人生を、自分で選ぶために。
私自身も、まだその途中を生きています。
