「止まったら、きっと全部遅れてしまう。そう思うと、怖くて、休めないんです。」

これは、ご先祖セラピーを受けに来られたある女性が、セッションの途中でふっとこぼした言葉です。

肩の力を抜くようにして、長いあいだ抱えていたものが静かにほどけていくような、そんな瞬間でした。

彼女はずっと、仕事でも家庭でも「がんばる人」でした。

周りからの信頼も厚く、「あなたがいて助かる」と言われ続けてきた日々。

でも、内心ではいつもどこか追い立てられるような感覚があったといいます。

「このまま立ち止まったら、流れに置いていかれてしまう気がするんです。夢も、評価も、大切なものが全部遠ざかってしまいそうで」

そんなふうに感じている方は、実は少なくありません。

動くことでしか価値を感じられなかったり、休むことに罪悪感を抱えてしまったりするのは、その人が弱いからでも、せっかちだからでもなくて。

もっと深いところに、「止まってはいけない」と刷り込まれてきた背景があるのです。

ご先祖セラピーでは、その「背景」をたどっていきます。

家族の歴史や言葉、いつのまにか自分に刻み込まれていた思いぐせ。

それは、もしかしたら何世代も前から受け継がれてきた「止まれなかった記憶」なのかもしれません。

でももし、今のあなたがその流れを感じているならそれはきっと、そろそろ「別のやり方」を選んでもいいという、ご先祖からの静かな合図なのだと思うのです。

止まることは、何かを諦めることじゃない。

むしろ、本当に望んでいたものとつながる「はじまり」

静けさの中に、次の波がそっと訪れる準備があるのです。

「このまま止まったら、夢から遠ざかってしまうんじゃないか」

そんなふうに感じたことはありませんか?

「夢を叶えるには、前に進み続けなければいけない」

そう信じて、がむしゃらに動いてきた人ほど、「立ち止まる」ことに少し怖さを感じるものです。

でも、風も波も、ずっとは動き続けません。ときには静かに「間」をとりながら、大きな「うねり」を迎える準備をしています。人生もきっと、同じこと。

走り続けることに疲れを感じたり、これまでのやり方に違和感が出てきたりするのは、ただの不調や気の迷いではなく、「流れが変わる前兆」かもしれません。

私たちDESTINYの「ご先祖セラピー」という視点で人生を見直してみると、止まること、休むこと、迷うこと。どれも「うまくいっていないサイン」ではなく、魂が新しい方向へ舵を切ろうとしている「静かな合図」であることに気づかされます。

たとえば、毎日頑張って仕事をしていた方が、ふとした瞬間に「本当にこのままでいいんだろうか?」と疑問を感じたとします。

この「揺らぎ」の奥には、「自分だけのリズムを思い出して」という、ご先祖からのメッセージが隠れているかもしれません。

私たちは、つい「動いていること=前進」と思いがちです。

でも本当に前に進みたいときほど、一度立ち止まり、風の向きを見直すような「静かな時間」が必要になるのです。

ご先祖セラピーを通して出会う多くの方々もまた、「もう無理だ」「先が見えない」と感じて足を止めた瞬間、意外な形でチャンスが巡ってきたり、眠っていた才能が花開きます。

それはきっと、「止まること」に自分を許したとき、ご先祖がそっと背中を押してくれるからかもしれません。

止まることは、何かを失うことではありません。むしろ、自分の本音や、命のリズム、見えないご縁と再びつながるための、かけがえのない時間です。

焦らなくていい。比べなくていい。立ち止まることを、自分に許していい。

止まることは、終わりではなく本当に望んでいた流れとつながる「はじまり」

静けさの中に、次の波がそっと訪れる準備があるのです。

止まれない感覚の奥に、ご先祖からの「記憶」が眠っているとしたら。今、私たちはそれに気づき、立ち止まることを選び直すチャンスの中にいるのかもしれません。

このお手紙を通して「止まれなかった理由」を家系の視点から一緒に見つめていきましょう。

「前に出なきゃ」焦りはどこから?

「止まることは怖い。」そう感じる背景には、ただの「性格」や「気の持ちよう」ではない、もっと深い「根っこ」にあるのかもしれません。

たとえば、幼い頃に「もっとがんばれ」と言われ続けてきた人。家族の期待を背負って、「ちゃんとしなきゃ」「もっと結果を出さなきゃ」と無意識のうちに思い込んできた人。

「前に出ること」「止まらずに進むこと」が、愛されるための条件や、生き残るためのルールになっていたとしたら止まることに不安を感じるのは、自然なことです。

そして、その背景には、もっと長いスパンで見た「家系の記憶」が影響していることがあります。

たとえば、代々商売をしてきた家。戦後、倒産や貧困を経験した家。

常に「先手を打て」「努力しろ」「動き続けろ」と言われてきた環境。

こうした言葉は、その時代に家族を守るために必要だったのかもしれません。

でも、時代が変わっても、その「緊張感」や「焦り」の感覚だけが、言葉にならない形で、私たちの中に受け継がれていくことがあります。

ご先祖セラピーでは、このような「家系に染みついた感覚」を「行動のくせ」として見つめ直すことからはじめていきます。

たとえば、

・止まると罪悪感が出る

・人の期待に応えないと落ち着かない

・「頑張っていない自分」が許せない

こうした感覚が強いとき、それは「自分ひとりの感情」ではない可能性があります。むしろ、それは「家族を守るために止まれなかった人たち」の想いが、あなたの中に「形を変えて残っている」サインなのかもしれません。

でも、今この時代に生きている私たちは、もう少しやさしく、流れに身をゆだねてもいいのです。

それは、ご先祖の祈りを無視することではなく「ようやく安心して止まれる時代になった」ことを、ご先祖に伝えることでもあります。

焦って前に出ようとする自分を責める必要はありません。ただ、その焦りにそっと耳を澄ませてみると、その奥に「誰かの悲しみ」や「守りたかった願い」が潜んでいることがあるのです。

case 1・三代にわたる「止まれない家系」の話

ご先祖セラピーを受けたAさん(40代女性)は、長年「何かしていないと落ち着かない」感覚に悩まれていました。

会社でも家庭でも頼られる存在で、常に「先回りして動く」「何かに備えて準備しておく」のが当たり前。

一見すると「優秀で気が利く人」に見られがちでしたが、本人の内側では「止まったら全部崩れる」という漠然とした不安が、いつも胸の奥にあったそうです。

セッションの中で、Aさんはジェノグラム(家系図+感情と出来事の記録)を書いてみることになりました。

家族の情報を三代にわたって整理していくと、次のようなことが浮かび上がってきました。

祖父は戦後に一人で商売を始め、倒産寸前の危機を何度も乗り越えた人。休むと収入がゼロになる環境で働き続けた。 母親は専業主婦だが「夫が倒れたら自分が家計を守る」という緊張感を常に抱えていた。夜中に目が覚めてしまう癖があった。 Aさんは会社員として評価されながらも、「誰かが倒れても自分が動けばなんとかなる」と思い込み、つねに自分の「順番」を後回しにしていた。

このように、三代にわたり「止まることは危険」「自分が動かないと誰も助けてくれない」という無意識の前提が受け継がれていたのです。

「わたしが焦ってたんじゃなくて、家族みんなで守ってきたのかもしれないですね。」とAさんは話してくれました。

ジェノグラムは、ただの家系図ではありません。そこには「何を恐れていたか」「どんな思いを飲み込んできたか」といった、感情の地層が見えてくるのです。

そして、その「地層」に光をあてたとき、「もう、がんばらなくていい」とご先祖が伝えたがっていた言葉が、ようやく届くようになります。

Aさんは、ジェノグラムを通して家系に刻まれた「焦り」の背景を見つめたあと、あることに取り組むことにしました。それは、「あえて、動かない」こと。

具体的には、

・空白の週末を意図的につくる

・即レスをやめ、1日後に返す

・手帳に「自分のためだけの予定」を書く

・頑張ってしまいそうな場面で、「今、これは私がやるべき?」と自問する

最初のうちは、落ち着かない感覚が続いたそうです。誰かに遅れをとる気がしたり、「ちゃんとしていない自分」に罪悪感が湧いてきたり。けれど同時に、内側で何かが静かにほどけていく感覚もありました。

そして1ヶ月ほど経ったころ、

Aさんはふと、思いがけないことを口にしました。「動かないでいたほうが、物事がうまく進むこともあるって初めて知りました。わたしが引いたことで、周りの人たちが自分で考え、動いてくれるようになったんです。」

さらに彼女がずっと後回しにしていた夢だった「小さなカフェを開く」という話が、学生時代の友人からの突然の連絡をきっかけに現実的に動き出すことになったのです。

「あのときやらなきゃって手を出していたら、きっと流れが乱れてたと思う。引いたことで、本当に必要なご縁が向こうから来てくれた気がするんです。」

焦っていたときには見えなかったものが、止まったことで、自然にこちらへと近づいてくる。

それは、ご先祖たちがずっと見守っていた流れなのかもしれません。

「もう、守らなきゃ、動かなきゃって、そんなにがんばらなくていいよ」

そんな言葉が、静かな日々の中に、そっとにじんできたようでした。

「引く姿勢」という名の受け取る力

家系に刻まれた「止まれなさ」に気づいたあと、私たちにできることは、なにかを「直す」ことではありません。むしろ、その記憶を知ったうえで、どう生き方を変えていくかを選び直すことにこそ意味があります。

ここからは、「気づいたあと、どうするか」つまり、家系の記憶に気づいた私たちが、「これからの流れ」とどう調和していくかについて見ていきます。

カギとなるのは、「引く姿勢」

それは単なる「受け身」ではなく、未来を迎え入れるための、静かで力強いアクションです。

先出のAさんのケースを振り返りながら解説をさせてください。

Aさんは、ご先祖セラピーを通して家系に潜む「焦り」に気づいたあと、日常の中で少しずつ、行動のパターンを変えていくことにしました。

それは、「何かを始める」ことではなく。あえて、「引いてみる」こと。

・スケジュールを詰めすぎない

・頼まれごとに、すぐに応えない

・誰かが何かを言う前に動く癖をやめてみる

最初は落ち着かなかったそうです。

でも、彼女はふと気づいたのです。

「わたしが一歩引くと、周りが育つ余白が生まれるんですね。それが結果的に、全体の流れをよくしてくれるんです。」

動きすぎていたときには見えなかった「他者の力」や「偶然の流れ」が、少し引いたときに、はじめて目に入るようになったのだそうです。

彼女の中で印象的だった変化のひとつは、「自分で追いかけなくても、必要なものが向こうからやってくる」という体験でした。

それまで、「夢は頑張って掴むもの」という思い込みのなかで、ずっと「動いて、叶える」ことに力を注いできたAさん。

でも、「引く姿勢」を意識し始めてから、長らく心の中にだけ温めていた「カフェを開きたい」という願いが、友人との再会をきっかけに動き出しました。

「動いていたときは、無理やりタイミングを作ろうとしてたんです。でも今は、待ってたら流れが整ったという感覚に近いです。」

受け取る器を整えるということ

ご先祖セラピーでは、「受け取る力」=「準備すること」ではないと考えます。

本当の準備とは、「余白をつくること」。

そして、「空っぽの時間」「余計な努力を手放す勇気」なのです。

それをひとことで言えば、「引く姿勢が、受け取る器をひらく」ということ。

ご先祖セラピーの方程式

受け取りの器 =(内なる静けさ × 信頼)+ 意図しない導き

「追いかけないと得られない、止まったら遠ざかってしまう」

そんな思い込みの奥には、「いつも自分がなんとかしなければ」という記憶が刻まれていることがあります。

でも、命の流れはもっと優しくて、自然で、調和的です。

そしてご先祖の祈りは、私たちが少し静かになったとき、そっと届くように設計されているのでしょう。

では、「流れに任せる」と「流される」はどう違うのか、「主体性を持ちながら引く」という在り方について、ご先祖の視点と共に考えていきます。

「流される」と「流れに任せる」の違い

「流れに任せよう」「自然にゆだねよう」そんな言葉にふっと救われるような気がしながらも、どこかでこう思ってしまうことはありませんか?

「でも、それってただのあきらめなんじゃない?」

「努力をやめる言い訳になっていない?」

実は、「流されること」と「流れに任せること」には、似ているようでまったく違う「内側の感覚」があります。

「流される」は軸がなく、「流れに任せる」は意志がある

流されているとき、人は自分の感覚を置き去りにし、周囲の期待や状況にただ反応して生きています。

でも、「流れに任せる」というのは、一度しっかりと自分の願いや意図を抱いた上で、コントロールしようとする力を静かに手放すという姿勢です。そこには、明確な「内なる軸」があります。

そして、その静けさの中にあるのが英語で「サレンダー(Surrender)」と呼ばれる状態です。

「サレンダー」という言葉は、日本語に訳しづらいものですが、DESTINYの哲学として「あきらめ」ではなく、「信じて委ねる」という能動的な手放しを意味します。これは「明け渡す勇気」ともいえるかもしれません。

自分の願いを放棄するのではなく、「すでに願った。あとは流れに任せよう」と、天や時間、ご先祖の祈りに明け渡すような感覚。

それは、「努力をやめること」ではなく、「努力だけで何とかしようとする姿勢をほどいていくこと」です。

Aさんは、自分の夢を追いながらも、あるときふと、こう感じたと言います。

「ずっと叶えるってことばかり考えてたけど、いったん手放したら、届くって感覚に変わったんです。」

それまで、「自分が動かなきゃ何も始まらない」と思い込んでいたAさん。

でも、「引く」ことを選び、焦らずに日々を過ごしていたとき。彼女の中で温めていた夢が、思いがけないご縁によって自然と動き出したのです。

それは、まさに「サレンダーの先に訪れた流れ」でした。

ご先祖セラピーでは、「流れに任せること」は、「ご先祖の祈りと響き合う在り方」と考えます。

私たちの命は、たくさんの願いや、選ばれなかった道の上に立っています。その流れは、目に見えなくても、たしかに「続いてきたもの」。

だからこそ、私たちが自分の願いをいちど天にゆだねるとき、ご先祖の祈りと、自分の祈りが重なる瞬間があるのです。

それは、「やめる」のではなく、「重なる」ということ。

受け取りの器 =(内なる静けさ × 信頼)+ 意図しない導き

何かを「起こす」ことだけが人生を進める方法ではありません。

ときに「起きることに、委ねる」その静かな力が、私たちを本当の流れへと連れていってくれるのです。

ここからは「止まることで聞こえてくる声」に目を向けていきます。

ご先祖が見守るその静けさの中で、あなたが本当に望んでいるものが、そっと姿をあらわしていくかもしれません。

止まることで聞こえてくる「本当の声」

忙しさの中にいると、私たちはつい「何が正解か」ばかりを考えてしまいます。

どう動くべきか、何を選ぶべきか、どうすれば失敗しないか。

けれど、ふと、立ち止まったときに何もしない時間の中で、誰かの顔が浮かんだり、昔の夢を思い出したり、胸の奥に沈んでいた感情がふっと湧きあがってくることはありませんか?

それは、「今まで聞こえなかった声」が、静けさの中でようやく届いた証です。

ご先祖セラピーを受けていた男性(50代公務員)は、長年続けていた職場を辞めたあと、次に何をすればいいか分からず、不安に包まれていたといいます。

でもある日、午後の光の中でぼんやりと窓を見ていたとき、ふと、亡き祖母の声を思い出したそうです。

「あんたは、焦らんでええよ。ちゃんと、自分のペースがあるんやから。」

その瞬間、張りつめていたものがふっとほどけて、涙があふれたと言います。

「何をするか」よりも先に、「どう在るか」が戻ってきたのだと。

このように、感情には、言葉にならなかった思い出や、自分でも気づいていなかった願いが詰まっています。それは、止まらなければ感じ取れなかった「命の記憶」。

そして、ご先祖からそっと受け継がれてきた、「安心していいよ」という祈りなのです。

私たちは、しばしば「これが正しいはず」と頭で判断してしまいます。

けれど、本当に大切なことほど、声は小さく、遠慮がちです。それはまるで、子どものころに聞いた、遠くで風鈴が鳴る音のような、ただ「そこにあるもの」として届いてくる。

焦っているときほど、その声は聞こえません。

でも立ち止まったとき、ふいに「こっちかもしれない」と、体が先に反応するような感覚がやってくるのです。

「自分が本当に何を望んでいたんだろう?」

「なんでこんな大切なことを忘れてたんだろう?」

こうした「本当の声」は、実はすでに自分の中に届いているのかもしれません。

ただ、日々の音の中にまぎれて、聞こえなくなっていただけ。

ご先祖たちの祈りは、本当の声を思い出すための、やさしい揺らぎなのです。

何者かになるために動き続けるのではなく、誰の声でもない、自分の中にそっと残っていた「本当の声」を思い出すこと。それが、命の流れと再びつながる入口になるのです。

「引いたとき」にやってくるチャンス

「止まることが、家族や家系全体にどんな影響を与えるのか」

自分ひとりの変化が、実は未来への祈りとして循環していく力について見つめていきます。「チャンスは、動いた人にしか来ない」「がんばっていれば、いつか報われる」そう信じて、一生懸命動いてきたのに、なぜかうまくいかない。

むしろ、力を抜いた瞬間に「うまくいく流れ」がやってきたそんな不思議な体験をしたことはありませんか?これは偶然でも、気のせいでもありません。

むしろ、ご先祖セラピーの視点では、「引いたときにこそ流れが整うのは自然なこと」だと考えます。

実際、こういう声をよく聞きます。

「もう連絡することをやめようと思ったら、向こうから連絡が来ました」

「動かずにいたら、思いがけない提案が舞い込んできました」

「力を抜いたら、なぜか周りが応援してくれるようになりました」

それは、自分の中の「頑張りの気」が緩んだことで、空気の流れが変わったとも言えます。

引いたからこそ、「押し返さない余白」が生まれ、そこに新しい風が通りはじめる。

その風こそが、次のチャンスを運んでくるのです。

ご先祖の人生に視点を向けて思いを巡らせてみると...ご先祖たちの人生は今よりはるかに「余裕」はなかったのではないでしょうか。

過剰な労働、戦争、病気、偏見。一日一日を生きること、そのものに「必死さ」が張りついていた時代。

その時代を生き延び、ようやく「安心して止まれる場所」までたどり着いた私たち。

だからこそ、ご先祖たちは今、「空白」や「余白」を受け取ることを、あなたに託しているのかもしれません。

「引くことは、逃げじゃないよ」「そこに風が入るのを、私たちは知ってるよ」そんなふうに、そっと背中を押してくれているのです。

チャンスは「受け入れる準備」ができた人に届く

私たちDESTINYの美意識のもとお伝えすると、チャンスとは力づくで奪いに行くものではなく、「空いたところ」に流れ込んでくるもの。

だからこそ、自分の器がいっぱいのままでは、どれだけ目の前を通っても受け取れない。

必要なのは、「手放すこと」と「引くこと」。そして、「受け入れる静けさ」。それが整ったとき、チャンスは不思議なほど自然に、「ぴったりのタイミング」でやってくるのです。

ご先祖セラピーを通して多くの人が体験するのが、「意図していなかったけれど、後から振り返ると完璧だった」というような出来事。

たとえば、

・あえて応募をやめた仕事の方が、あとで縁がつながった

・相手に連絡しなかったら、向こうから連絡が来た

・あの時動かなかったからこそ、別の扉が自然に開いた

それは、「流れに任せた人」が受け取れるご褒美のようなものかもしれません。

動くことで得られるものはたくさんあります。でも、「動かないこと」でしか受け取れないチャンスも、たしかに存在します。

空白は、チャンスの通り道。引くことは、未来の風を迎え入れる姿勢。

だからこそ、「ここまでがんばったけど、ちょっと引いてみようかな」と思えたとき。それは、人生の流れがやさしく切り替わるタイミングなのです。

大切なものは、静けさの中にあった

「引くことで思い出す」という感覚に焦点を当て、「本当に大切にしたいもの」「心の底に眠っていた記憶」について、ご先祖の祈りと共に見つめていきます。

忙しく動いているとき、私たちは「必要なこと」や「やるべきこと」ばかりを考えがちです。

次の予定、成果、評価、目標。でも、ほんとうに大切なものって、意外と「止まったとき」に、ふっと思い出されるものではないでしょうか。

何かを手放したあとに、空っぽの時間に、予定のない休日の午後に記憶の奥からそっと顔を出す「なにか」。

それは、ご先祖たちの祈りと共鳴している、「あなたの命にとっての原風景」かもしれません。

忘れていたものほど、本物の願いだったりする

ある女性は(30代会社員)、セラピーの中で「昔、保育士になりたかった」という記憶を思い出しました。でも今は全く違う仕事をしていて、もう関係のない話だと思っていたそうです。

けれど、その記憶が戻ってきた瞬間、涙が止まらなかったと言います。

「あのときの誰かを見守りたいって気持ちは、今でもちゃんと私の中にあったんだなって。」

引いたとき、静かになったとき、心の底に降りていくような瞬間があります。

そこには、叶うかどうかではなく、損得でも役に立つかでもなく、「ずっとそこにあった願い」が、呼吸するように静かに残っているのです。

ご先祖の祈りは、「記憶の層」をゆらす

ご先祖セラピーでは、ご先祖の祈りは「外側からのサポート」だけではなく、「内側にある記憶」を震わせるものでもあると考えます。

なぜか昔の夢を思い出す ふと懐かしい景色が浮かぶ もう終わったと思っていた想いに、やさしく触れる。

これらはすべて、「今、このタイミングで向き合っていいよ」という、ご先祖からの静かなサインかもしれません。

引いたからこそ、空いたからこそ、記憶の奥に沈んでいたものが、浮かび上がってくる。

それは、ただの思い出ではなく、「命の深い層」に触れる瞬間でもあるのです。

引いたときに生まれる空白の中には、「何もないようで、いちばん豊かなもの」が宿ります。

それは

・自分にしかわからない大切な感覚

・誰にも説明できないけど、信じていたかったこと

・ずっと忘れていたけど、本当は守りたかったもの

止まっているように見えて、心は、遠く深くへと旅をしている。

そしてその旅路の先にあるのは、「もう一度、この命を愛してみようかな」という、静かだけれど、力強い確かな決意なのかもしれません。

「祈りをつなぐ」という生き方

止まることで、思い出す。引くことで、流れが整う。静けさの中で、本当の願いが浮かび上がる。

でも、そこで終わりではありません。その本当の願いを、自分だけのものとしてしまうのではなく、「命の流れのなかで受け取ったもの」として、未来につないでいく。それが、ご先祖セラピーにおける「祈りをつなぐ」という生き方です。

たとえば、自分にはなぜかわからないけれど、大切にしたい想いがある どうしても惹かれてしまう仕事や場所がある 理屈じゃないのに「やりたい」と感じるものがある

それらは、もしかしたらご先祖が残してくれた祈りの種かもしれません。

なぜなら、私たちが受け取っているのは、記憶だけではないから。

まだ形になっていなかった願い、語られなかった想い、途中で終わってしまった夢。

それらを、自分という「現在」を通して、未来へと橋渡しすることができるのです。

祈りとは、特別なものではなく、日々の営みのなかにある

祈りをつなぐと聞くと、「何か大きなことを成し遂げなければいけない」と感じてしまう人もいるかもしれません。でも実際は、もっとささやかで、日常的で、静かなものです。

誰かに優しい言葉をかけたくなったとき 子どもを抱きしめたくなったとき ふと空を見上げて「ありがとう」と心の中でつぶやいたとき。そのすべてが、祈りです。

そしてそれは同時に、ご先祖が望んでいた「心の豊かさ」を生きることでもあるのです。

ご先祖は、「こう生きなさい」と私たちに押しつけてくる存在ではありません。

あなたが、あなたらしく生きること。

無理をせず、つながりを感じながら、優しくあること。

それそのものが、「願いの成就」なのです。

夢を叶えることより、日々の中で「私は大丈夫」「この命が好き」と思えること。

その感覚の中に、何世代もの祈りが結ばれていきます。

「祈りをつなぐ」とは、遠くを目指すことではありません。それは「今ここ」の自分の中に、ご先祖の祈りが流れていることに気づき、その流れの中で、自分の選択や日々の営みに光を灯していくこと。

それが、過去を癒し、未来を整えていく「やさしい循環」となっていきます。

今を生きる私たちは、過去の祈りと未来の願いが交差する、ひとつの通り道であり、どこかで絶たれてしまった流れを、静かにつなぎ直す存在なのかもしれません。

すべてが速く、すべてが競争のように流れていく今。

止まることは、ときに怖さを伴います。

「置いていかれるんじゃないか」

「間違った選択をしてしまったんじゃないか」

でも、ここまでお伝えしてきたように、引くこと、止まること、静かになることは、

ほんとうの意味で「命の流れと調和する」選択でもあります。

そして、祈りをつないだ私たちが次にできることは、

その流れを「いま、ここ」の日常に根づかせることです。

人生は、大きな決断だけでできているわけではありません。日々のささやかな選択の積み重ねが、未来をつくっています。

・今日は、無理をしないと決める

・「大丈夫?」と自分に聞いてあげる

・誰かの期待より、自分の静けさを優先する

・あえて「やらない」という余白をつくる

それらはすべて、「祈りの選択」です。

誰にも気づかれなくても、その選択のひとつひとつが、ご先祖から受け取った祈りを、未来へ静かにつなぎ直していく道のりなのです。

あなたが引いたことで、誰かが安心して立ち止まることができるかもしれない。

あなたが無理をやめたことで、家族が、部下が、子どもが、少しだけやさしくなれるかもしれない。

そしてそれは、まだ生まれていない未来の誰かにとっての「命の居場所」を整えることにもなるのです。

「止まることを選んだあなたから、未来は変わり始める」

これまでずっと続いてきた、「止まれなかった歴史」を、あなたの存在が、そっと癒していきます。

編集後記

止まったからこそ、流れが変わった。

引いたからこそ、届いた声があった。

思い出したからこそ、願いがつながった。

私たちが探していた「答え」は、未来のどこかにあるのではなく、ご先祖から続く記憶と、日々の中でふと気づく「静かな祈りの中」にありました。

そしてそれは、いま、ここにある。

これからの人生に祈りを添えるということ、そして祈りを生きるというのは、何かを信じ続けることだけではなく、感じ続けることも大切。

言葉にならないものに触れ、時には涙し、時には空を見上げて、そっと「ありがとう」と言いたくなるような日々。そんなあなたの一日一日が、「過去と未来をつなぐ祈りそのもの」なのです。

そしていま、あなたが「ここにいる」ことこそが、命の流れにとって、どれだけ尊い祈りか。
そのことを、どうか忘れずにいてください。

また、つぎのお手紙でお会いしましょう。

あなたとあなたの大切な人の人生が愛で満ち溢れるものであり続けますようにとの願いを込めてDESTINYからのお手紙をお届けさせていただいています。

「このテーマについて知りたい」
「こんなサービスがあったらいいな」
「今、こんなことで悩んでいます」

あなたの声をぜひ聴かせていただけませんか?

あなたの声をぜひ聴かせていただけませんか?

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