安心って、どこからやってくるんだろう?

「なんだか、ほっとするな」

理屈じゃないのに、そう感じる場所ってありますよね。

たとえば、おばあちゃんの家の縁側。

たとえば、春の風が通り抜ける道。

たとえば、理由もなく泣けてくる夢のなかの景色。

こうした「安心の気配」は、私たちが知らず知らずのうちに受け取ってきた、ご先祖の記憶や祈りの連なりの中に、ちゃんと息づいています。

私たちDESTINYのご先祖セラピーでは、こうした目に見えない安心感を、次のような方程式でとらえています。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

過去に受け取っていたのに忘れていた「ぬくもり」と、いま目を向ければ感じられる「しるし」のような瞬間たち。

このお手紙では、「つながる」ことをむずかしく考えず、やさしく、軽やかに「よりどころ」を思い出していく時間をお届けします。

「つながっていない気がする日」も、ちゃんとつながってる

「わたしはひとりぼっちだ」そんなふうに感じる日は、誰にだってあります。

友達がいても、パートナーがそばにいても、ふとした瞬間に、世界から切り離されたような孤独感が降ってくる。でも、それって「ほんとうに」孤独なのでしょうか。

実はその感覚の裏側には、つながっていた記憶が眠っていることがよくあるのです。

私たちは誰もが、「安心」のなかで育つことを願われて生まれてきます。けれど現実は…。

幼い頃、忙しい大人の顔色を読みすぎたこと。本音を言うと怒られたこと。自分を出さずに「いい子」を演じた記憶。そんな過去の経験は、やがて「自分はどこにもつながっていない」という思い込みを作ります。

でも実は、それは自分を守るためのかたちだったのです。

 つながっていないように感じるのは、「つながり」を知っているから

矛盾しているように思えるかもしれません。でも本当にそうなんです。私たちが「つながりたい」と願うのは、かつてどこかで誰かと深くつながった記憶があるから。

もしかしたら、それは母のまなざしかもしれない。

あるいは、祖母のぬくもり。

名前も知らないご先祖が、あなたの命を願って祈った、その気配かもしれません。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

この方程式で大切なのは、「気づきの深さ」です。

「つながり」は、どこかに「ある」のではなく、ふと立ち止まって気づくものなのです。

「ありがとう」と言われても、受け取れない日がある。

「愛してる」と言われても、疑ってしまうときがある。

それでも、「祈りの連なり」は静かに流れ続けています。

あなたがどんな状態でも、何を感じていても、命の奥には、やわらかく続いている川のようなものがある。

それに気づける日も、気づけない日も、どちらも大丈夫。どちらもつながっている日です。

だから、まずは自分にこう言ってあげてください。「今は、つながっていると感じられないだけ」

感じられなくても、ちゃんとつながってる。

その優しい前提に立つことで、心の風向きが少しずつ変わりはじめます。

それはまるで、雲の切れ間から差し込むひとすじの光のように。

「感じられなくても、つながっている」という確信は、わたしたちの命を、ふたたび「安心」という場所へ戻してくれます。

その「つながりの記憶」がどこにあるのか、そしてなぜ忘れてしまったのかを、やさしく紐解いていきます。

つながりの記憶は、いつも忘れたふりをしている

つながっていたはずなのに、思い出せない。

あたたかかったはずなのに、感じられない。

それは、心が「忘れよう」としたから。

そして同時に、ちゃんと「守ろう」としてくれたからです。


■ 安心を受け取れなかった、あのときのわたしへ

小さなころ、「だいじょうぶだよ」と誰かに言われても、

その声を信じるには、少し勇気がいりました。

親が忙しそうな背中ばかり見てきた。

甘えようとすると、先に「我慢」が顔を出した。

そんな子ども時代をくぐりぬけてきた人ほど、

安心を受け取ることが、ちょっと苦手です。

でもそれは、「つながること」をあきらめた証ではありません。

むしろ、「ほんとうは、つながっていたかった」

その切実な願いの裏返しなのです。

つながりの記憶は、いつもそばにある

安心した記憶。誰かに受けとめてもらった感覚。

名前もないけれど、確かにあった「ぬくもり」それらは、私たちの中にちゃんと残っています。

でも、心はとてもやさしいので、それを忘れることで、私たちを守ってきたんです。

たとえば、「寂しくなかったよ」って思い込むことで、寂しさを乗り越えてきた。

「ひとりでも平気だよ」って言い聞かせて、誰にも頼らずに生きてきた。

そうやって、私たちは「忘れる」ことで、「つながり」から一時的に離れていたのです。

だからこそ、大人になった今、ふとした拍子に「記憶の香り」が戻ってくることがあります。

・お茶の湯気に包まれたとき

・誰かが背中をぽんと叩いてくれたとき

・なんでもない風景に、なぜか涙が出たとき

そういう瞬間こそが、「つながりの記憶」がそっと戻ってくるサインです。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

忘れていたのではなく、気づくタイミングを待っていただけ。

自分の中には、もうすでに「受け取ったもの」がある。そのことに気づくだけで、人生は少しずつ、やわらかくなっていきます。

「わたしには、何もない」そんな気持ちになる日もあるけれど、「本当はもう、受け取っていた。」それを思い出すだけで、いのちのよりどころは、そっと灯ってくれるのです。

私たちの知らないところで続いてきた「いのちの願い」について、やさしく紐解いていきます。

祈りの連なりが、いのちの「よりどころ」

生まれてから今日まで、ずっと「一人でがんばってきた」と思っていた。

でも、本当は「誰かが願ってくれていたから、生きのびてこられた」のかもしれない。

目には見えないけれど、確かなこと。

私たちは、自分の努力だけでここまで来たと思ってしまうことがあります。

とくに誰かに甘えるのが苦手な人ほど、「誰にも頼らずに、なんとかやってきた」と感じているかもしれません。でも、本当にそうだったのでしょうか?

たとえば、トラブルに巻き込まれかけたときに、偶然誰かが助けてくれたこと。

もう無理だと思った日に、ふいに届いた優しいメッセージ。

自分の願いを誰にも言ってないのに、

ふとした流れで叶ってしまったこと。

それらすべてが、「どこかで誰かが祈ってくれていた」ことの結果だったとしたら、どうでしょう。

祈りって、気づきにくいものです。

目に見えないし、声が聞こえるわけでもない。

でも、後から思い返すと「あれは誰かの祈りだったのかもしれない」と感じる出来事が、実はたくさんあるんです。

「なぜかわからないけれど、助かった」

「あの人に出会えたのは、偶然ではなかった気がする」

「心が折れそうだった日に、風のにおいが変わった」

そういう出来事は、まるで誰かが背中をそっと押してくれたような、静かで、あたたかな「しるし」

それこそが、祈りの連なり。

何世代も前から、誰かの願いが、あなたのいのちにそっと織り込まれていたという証です。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

この方程式にある「祈りの連なり」は、「生きていてほしい」「幸せであってほしい」というシンプルで純粋な願いの積み重ねです。

見えないけれど、「誰かが願ってくれた」その静かな力が、あなたを守ってくれていた。

そして、今のあなたの中にも、同じような祈りが生まれつつあるかもしれません。

多くの人は、祈るときに「何かを叶えるため」と思うかもしれません。

でも、本当は祈りはもっと前から「届いていた」もの。

あなたが気づいていない間に、誰かが、あなたの笑顔を想って祈っていた。

誰かが、名前も知らない未来の命を想って祈っていた。

その連なりのなかに、あなたの今日があります。

孤独を感じる日があっても、絶望にふれる夜があっても、どこかに祈りの火が灯っている。

その火が、あなたの背中をあたため、心の底に「いのちのよりどころ」という種を芽生えさせてくれます。

それは、ただ信じるだけでいい。

むずかしいことは何ひとつありません。

受け取ったものがあると知ったとき、私たちは、もう一度、世界とつながれるようになるのです。

どうすれば、この「しるし」をもっと日常の中で受け取れるようになるのか、感性というレンズを使って探っていきます。

気づきの深さが、世界の見え方を変える

同じ景色を見ていても、ある人には「ただの空」、別の人には「ひかりのサイン」に見えることがある。

その違いを生むのが、「気づきの深さ」です。

人の心には、それぞれ「感じる力=感性」が備わっています。

これは、生まれつきの才能というより、日々の暮らしの中で育つもの。

よく「センスがいい」「勘が鋭い」と言われる人がいますが、それはただ、「受信する準備」ができているだけなのかもしれません。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

この方程式で言う「気づきの深さ」とは、小さな変化に目をとめるやわらかさ、

当たり前を「ありがたい」と感じられるしなやかさです。

気づきの深さは、特別なスピリチュアル能力ではありません。

・季節の変わり目に、空の色が変わったことに気づく

・誰かの表情が、ほんの少し曇ったことを感じ取る

・道ばたの花が咲いていたことに、足をとめる

そういう瞬間を、ちゃんとキャッチできる人のもとには、不思議と「見えない導き」が訪れやすくなるのです。

「あ、これってサインかも?」

そう思えたとき、世界はあなたに話しかけはじめます。

日常はとても忙しくて、音も情報も多すぎます。

気づきの感度が鈍ってしまうのは、決してあなたのせいではありません。

でも、だからこそ

・スマホを閉じて、窓の外をぼんやり見てみる

・言葉にならない感情を、ただ感じてみる

・頭よりも、心に問いかけてみる

そんなふうに、「感性を澄ませる時間」をほんの少し意識するだけで、見えなかった「しるし」が見えてくるようになるのです。

「気づくこと」は、他人の痛みや違和感にも目を向けることでもあります。

それは時に、少しだけ苦しい。でも、そのぶんやさしくなれます。

自分が今まで気づかなかった「受け取っていたもの」

誰かがしてくれた、小さな愛。

それに気づいたとき、人は自然と「ありがとう」を口にしたくなる。

気づきの深さが増すと、安心感はどこからともなく「あふれてくる」ようになる。

「根拠はないけど、なんかいい感じがする」

「なぜかわからないけど、こっちを選びたい」

こうした「感じるちから」は、方程式のなかでは「受信機」としての感性です。

祈りや記憶は目に見えない。

でも、あなたの感性がアンテナになっていれば、ちゃんとそのメッセージを受け取ることができるのです。

「いのちのよりどころ」は、育てる

安心は、「あるか・ないか」ではなく、そっと「育てていくもの」なのかもしれません

「安心できる場所がほしい」

「自分には、よりどころがない気がする」

そう感じてしまうとき、まるでそれが「自分にだけ与えられなかったもの」のように思えてくるかもしれません。

けれど実は、よりどころとは、「思い出すもの」であり「育てていくもの」でもあります。

ふと落ち着ける風景、いつもより深く息ができる時間、誰かの何気ないひとことに救われた記憶。

そういった小さな「心の居場所」を日々のなかに増やしていくことが、あなたの「いのちのよりどころ」を、静かに育てていくのです。

日常に「安心の種」をまく3つの習慣

ここでは、今日から始められる3つのステップをご紹介します。

1. 「心を置く風景」を持つ

忙しい日常のなかで、ほんの5分でもいいから「安心できる風景」に心をおく時間をつくる。

それは神社の境内でも、ベランダから見える空でも、あたたかいお茶の湯気でもいい。

「この景色を見ると、ちょっとだけほっとする」

そう感じる瞬間を、あなたの拠点にしてあげてください。

2. 声に出して「ありがとう」を言う

これは、祈りの連なりにスイッチを入れるような行為です。

見えない誰かに向けてでもいい。

過去の自分にでもいい。

心の中で言ってもいいけれど、できれば「声に出す」ことがポイントです。

「ありがとう」「うれしいな」「助かった」それは、安心感を呼び戻す呪文のようなもの。

3. 受け取ったやさしさを、メモして残す

誰かにかけられた優しい言葉、何気ない気づかい、自分にだけ届いた「しるし」

小さくてもそれを記録することで、「受容の記憶」があなたの中に積み重なっていきます。

これは、自分を信じる力の「証拠集め」でもあります。

「よりどころ」とは、ある日突然できあがるものではありません。

でも、日々のなかで少しずつ、まるで「レイヤー」のように重なっていく。

見えないけれど、たしかにある層。

祈りと記憶と、あなたの感性で織りなされていく場所。

その存在を感じられたとき、人は「生きてていいんだ」と深く、静かに納得するのです。

よりどころを持つ人の「心の強さ」について、人生の選択や人間関係にも変化を起こすその力を探っていきます。

「よりどころ」がある人は、迷い方がちがう

どんなに自信があっても、人は迷うもの。

でも、よりどころがある人は、「迷ったあとに戻ってくる場所」を持っています。

人生に「迷い」はつきものです。

仕事、人間関係、健康、将来……選択のたびに、「これでいいのかな」と不安になるのが人です。

けれど、よりどころがある人は、迷っても、傷ついても、すぐに自分の軸に戻ってこられるのです。

それは、強さというよりも「深さ」

つながっているという実感が、「だいじょうぶ、今ここからまた始められる」と静かに教えてくれるから。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

この方程式は、人生の現在地を測る羅針盤のようなもの。

・最近、ちゃんと受け取れてるかな?(受容の記憶)

・見えない想いやつながりに心を寄せられてる?(祈りの連なり)

・小さなサインや感情の変化に気づけてる?(気づきの深さ)

こうしてそっと振り返るだけで、迷いの中にもやさしい灯がともります。

よりどころを育てていくと、驚くほど「感情の波」に振り回されなくなっていきます。

・誰かに否定されても、すぐに自分の価値を疑わなくなる

・落ち込んでも、「今はそういう日」と受け流せる

・焦ったときこそ、呼吸を深くして、静かな判断ができる

これは、自分が「守られている」とどこかで知っているから。

見えない祈りに包まれていると感じることで、いちいち戦わなくてもいい世界があると、身体が覚えていくのです。

迷わなくなる、というより「自分にとってほんとうに大切なもの」が、わかってくる

それが、よりどころがある人の選び方です。

何を選ぶかよりも、何を「選ばなくていい」と手放せるか。

外側に振り回されずに、「これがわたしのリズム」と言える心の整い方。

それは、よりどころという「見えない根」が支えてくれます。

最終的に、よりどころが育っていくと、選択は「決断」ではなく、「信頼」からくるものになります。

信じられる。どんな道を選んでも、きっとつながっている。何かが導いてくれる。

その感覚は、過去に受け取ったやさしさと祈りが、ちゃんと今の自分を支えてくれているという確信です。

安心して生きるという、小さな革命

人は、安心を取り戻したときに、はじめて「本当の自由」を生きはじめます。

不安の中にいるとき、選択は「生きのびるため」になるけれど、安心の中にいるとき、選択は「よろこびのため」になるのです。

戦うように生きていた人が、「そんなに頑張らなくてもいいんだ」と肩の力を抜けたとき。

遠慮ばかりしていた人が、「わたしが笑うことも、大切なんだ」と口角をゆるめたとき。

それはどちらも、「安心して生きていい」と許可が出た瞬間です。

よりどころは、ただの支えではなく、人をやさしく、しなやかに、自由にしてくれる場所。

根っこが深まるほど、枝葉は大きく広がっていきます。

その感覚が芽ばえたとき、もう無理に誰かの期待に応えようとしなくていい。

足りない自分を演じる必要もない。

周りと比較して自分を見失うことも、減っていきます。

なぜなら、自分の命には最初から「意味」があったと知っているから。

どんな道を歩いてきても、誰かの祈りと願いの中で生きてきたと、深く思い出したから。

それは「絶対もう迷わない」ということではありません。

でも、迷っても「戻れる場所がある」ということが、人生の方向を変えるのです。

・無理して選ばなくてもいい

・焦って進まなくてもいい

・たとえ立ち止まっても、つながりは失われない

そう信じられる人は、結果的にいちばん遠くまで、あたたかく、強く歩いていけるのです。

いま、ここに在る安心感 =(受容の記憶 + 祈りの連なり)× 気づきの深さ

これは、なにかを新しく「得る」ための式ではありません。

むしろ、「すでにあるものに気づく」ための式です。

あなたの中には、きっともう、たくさんのやさしさが刻まれている。

思い出せないだけで、祈りはちゃんと届いている。

そしてそれに気づける日がくるだけで、人生の景色は静かに、でもたしかに、変わっていくことでしょう。

編集後記

「よりどころ」って、手に触れられるものじゃないかもしれない。

だけど、気づいた瞬間、背中のあたりがふわっとあたたかくなる。

そんな感覚が、たしかにあるのです。

このお手紙を書きながら、何度も思いました。

安心って、「わかる」ことじゃなくて、「感じる」ことなんだなって。

思い出そうとしなくても、ちゃんと心の奥には、いのちの記憶が眠っていて、それはふとした瞬間に、光の粒のように浮かびあがってくる。

それに気づけたとき、人はもう「孤独」の中にはいないのかもしれません。

誰にも言えない寂しさや、「なんでこんなに頑張ってるんだろう」って思う夜もあるけれど、そんな日こそ、よりどころの存在は、やさしく、静かに、私たちを包んでくれます。

「いま、ここにいることが、もう祝福だったんだ」

そんなふうに思えたら、人生はすこし、やわらかくなる。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

このお手紙が、あなたの「安心感の地図」の一片になれたなら、心からうれしく思います。

また、つぎのお手紙でお会いしましょう。

あなたとあなたの大切な人の人生が愛で満ち溢れるものであり続けますようにとの願いを込めてDESTINYからのお手紙をお届けさせていただいています。

「このテーマについて知りたい」
「こんなサービスがあったらいいな」
「今、こんなことで悩んでいます」

あなたの声をぜひ聴かせていただけませんか?

あなたの声をぜひ聴かせていただけませんか?

https://docs.google.com/forms/d/1cmI3soV5IdmhqFvLVkQw0pNYEtJqS07syR2NuVXk0xk/edit

One Reply to “いのちのよりどころ「安心してつながる力」が人生を支える”

  1. 「安心」という感覚は、確かに理屈では説明しにくいものですね。おばあちゃんの家の縁側や春の風が通り抜ける道、夢の中の景色など、具体的なイメージが浮かび、心がほっとする瞬間を思い出します。でも、なぜそのような場所や瞬間が安心感をもたらすのか、深く考えたことはありますか?もしかしたら、それは私たちの記憶の奥底に眠る、ご先祖様の祈りや温もりとつながっているのかもしれません。でも、その「つながり」を感じられない日もある。そんな時、どうすればその感覚を取り戻せるのでしょうか?「感じられなくても、つながっている」という確信を持つことが、本当に大切なのかもしれません。あなたは、どんな瞬間に「安心」を感じますか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です