「家庭や職場様々な人間関係においてがまんはつきもの」
そんなふうにあなたは感じていませんか?
家族、友人、恋人、仕事での直接的な関係。またはその相手を通しての間接的な関係。
同時に、その関係性の中で様々な体験をする「つながりの世界」
「つながりの世界」の中で生きる私たちは、常に意識が「自分と相手」との間を行き来しています。「自分のことを考える時間よりも相手のことを考える時間の方が多い」そう感じたことはありませんか?
言いたいことがあっても、相手の顔色を伺いながら「あの人は自分のことをどう考えているんだろう?」
「わたしは誤解されていないかな」という憶測をしながら相手が傷つかないように本音を押さえすぎて疲れてしまうこともありませんか?感受性が強い方は特にその傾向をご自身に感じることがあると思います。
わたしも、そのことで悩んでいた時期があります。
当時のわたしは自分のことよりも相手のことを優先にするあまり「生きづらさ」を感じてしまっていたんです。「つながりを大切に生きる」ということは自分を押さえつけたりすることではありません。
だからといって相手を押さえつけたりすることでもありません。相手を尊重しつつも自分も尊重する。
人に気遣いができることはとても大切だと思いますがそれが、もし相手や自分以外の「誰か」の評価を気にしたものになると自分の行動を説明するようになるのです。
「あの人がこういったから」「この人がああいっていた」このような言葉が出てきたとき。人は自分の人生を生きれていない。自分ではない誰かにコントロールされている状態なのです。これを被害者意識と呼んでいます。
お互いにコントロールされない、させないためにも「自分の領域(パーソナルスペース)」を大切にした振る舞いはとても大切です。その方法はいくつかありますが今日は「悪口や批判」に対しての振る舞い方に対してお伝えします。

悪口や度を超えた批判は呪いになる
悪口や度を超えた批判は「わたし」に悪いことが起きるように呪いをかけてしまうことと同意だと思うのです。悪口や批判を言いそうになる時に「言わない方がいいよ」とは言いませんが、覚えていてほしいのは誰かさんに対する悪口や批判は「わたし」の深い部分に染みていきいずれ「わたし」のものになり長期的に「わたし」を攻撃して苦しめてしまうということです。
この事実を理解するための方法は手紙を書いてみること。1つは相手への悪口。もう1つは相手への感謝。
同じ紙とペンを使って書いているのに受取る人の行動と感情は180度違う物になります。これが「言葉」の威力です。地獄の底に陥れることも幸せに導いてあげることもいつも「わたし」が原点。
だからこそ、愛感。
人の悪口や愚痴、不幸を願う人を「万が一」目撃してしまったとき。対処の言霊として「ネガティブなエネルギーはあなたにお返しします。あなたにも、あなたの大切な人にも、悪いことが起こりませんように」
そう口にしてみてください。因果を生み出さないために、後世に残さないように。「自分で止める、終わらせる。」
DESTINY哲学としての「ゆるし」
これまでの運命を振り返った時に「もう必要ない」と想った考え方や実際に勇気を持って手放した価値感はありますか?あらゆる宗教をはじめ、精神世界の認識として「内なる安らぎはゆるしを実践した時に得ることができる」というものがあります。
わたし、そしてDESTINYの哲学としての「ゆるし」とは多くの人が経験してきた「ゆるし」とは違います。
ここでいう「ゆるし」とは、自分が上から見下ろして同情して行うものでもなく我慢して、大目に見る。というものでもないのです。
わたしたちの「ゆるし」とは自身が受け取った愛、自身が届けた愛を思い出し全てはひとつであり、一つは全てであったことに気付く。それらを体感する行為を指します。
なぜならば、本物のスピリチュアルはこの世界に絶え間なく流れている愛に気づき、それを体感する行為の中にあるからです。

「人と生きる」と書いて「人生」
わたしたちは生きていくなかたくさんの人と出逢いその時間を通じてたくさんのことを学びます。人生という文字は人と生きると書きますよね。わたしたちは「つながりの世界」を生きていて、その「つながり」を感じ無くなった時にこころは傷つき、いのちは乾くのだと。私は自身の体験やご相談を受けてきた時間の中で強く実感しています。
同時に実感したのは「わたしたちは何かできても、できなくてもそのままそこにいるだけで十分なのだ」ということ。
わたしたちの生きる世界は大いなる存在、偉大なる誰かさんがつくった完璧なもので
満ち足りている方が自然。でも、わたしたちは「欠けている部分や自分と違う物に目が行くように」
作られたんですよね。きっと、そこに愛を感じ愛を見つけて愛で満たす為に偉大なる誰かさんが
そういうふうにつくったのでしょう。でもそれは一人ではできないから...。
「欠けている部分」というものは「違い」という言葉に置き換えることもできます。「自分と違う部分、自分にはない部分。」その部分を受け容れるだけで視野は広り、あなたの人生に色どりを添えてくれるでしょう。
家族との学びはタフとよく言われますが似てるのに違うから余計に混乱してしまうのでしょうね。ご家族とのお悩みを抱える方はとても多いですし...私自身も、過去は散々でした。
でもその時間があったから、こうしてあなたにお伝え出来ることがあるのだと。その出来事にもありがとうと言えます。なぜなら、「着こなしている後悔や、強さで隠れる痛みを持っている者同士は時空を超えてつながることができる。見てきたものでしか書けない」から。
あなたの人生には大きな価値があります。あなたが経験してきたこと、経験していることに無駄なことは何一つありません。経験を記録したものが後世へ繋ぐ「叡智の結晶」に成るのは不変の真理。
あなたがあなたの言葉で語り継ぐことで「経験」は更に色濃く、確かなものになります。反対に、語り継がなければ残念ながら風化し色褪せてしまいます。
あなたが体験した話は、あなたの家族に教えてあげて下さい。友達に教えてあげて下さい。部下に教えてあげて下さい。同僚に教えてあげて下さい。子供に教えてあげて下さい。
あなたの人生には大きな価値があります。


あなたとあなたの大切な人の人生が愛で満ち溢れるものであり続けますようにとの願いを込めてDESTINYからのお手紙をお届けさせていただいています。
「このテーマについて知りたい」
「こんなサービスがあったらいいな」
「今、こんなことで悩んでいます」
あなたの声をぜひ聴かせていただけませんか?
https://docs.google.com/forms/d/1cmI3soV5IdmhqFvLVkQw0pNYEtJqS07syR2NuVXk0xk/edit