このお手紙は

・生きる意味がわからず、人生の課題と向き合いたい

責任ある立場の経営者、個人事業主の方

・スピリチュアル初心者(スピ嫌い)

・スピリチュアル迷子な方(人生の迷子)

向けに書かれた自分の生きる意味が見つかり、自分の運命を愛せるようになる

「DESTINY独自のメソッド」「新感覚のスピリチュアル」をお伝えしてます。

いつも読んでくださり心からありがとうございます。

毎日、毎日忙しいのにこうして今日も、ここにあなたがいてくれて一緒に過ごせるこの時間。

わたしにとって、かけがえのない宝物。

これからも、あなたとあなたの大切な人の笑顔のその先まで想って書き続けていきます。

今日のお手紙では改めてわたしのできることについて。

テーマは「『いのちの器』としての生き方」です。

わたしが「運命」と「愛」に特化して人生を語る理由は、

過去のわたしと同じ様に苦しむ人の力になりたかったからです。

なにを隠そう、わたしは「運命」や「愛」に関することでとても悩み、傷ついた時期があります。

生きていく上で感じるであろう挫折はほぼ全て体験してきましたし、水商売の中でも国内随一の環境にいましたので、おそらく「修羅場」という「修羅場」は誰よりも経験してきました。

いまだって、ときどき落ち込むこともあります(笑)

でも、いまだからいえること。

これまでの体験全てがわたしにとって素敵な宝物。その時間があったからこそ、今もこうして 多くの方のお悩みを理解し、魂の痛み寄り添えるのだと思います。

このお手紙を読まれている方の中には、いま現時点で、傷ついておられる方もいらっしゃるでしょう。

でも、安心してくださいね。

わたしはあなたのことを急かしたり、厳しく叱ったりすることが役割ではありません。
生きていれば辛いこともあるでしょう。

苦しいこともあるでしょう。悔しいことや悲しいこともあるでしょう。

でも、わたしとこうして出会ってくれてありがとうと、
あなたにお伝えしたい。

あなたはあなたのままでいいんだよと、
わたしはあなたにお伝えしたいのです。

わたしは運命という領域の先駆者として、あなたに道を示し、共に寄り添いたい。

これがわたしたちの仕事であり、生きる道だからです。

わたしのもとに辿り着いてくれる人の多くは

・自分の「運命」と向き合いたい人

・自分の「運命」を愛したい人

・自分は「運命」に愛されていることを知りたい人

相談を受ける内容の多くは運命の5大領域、人間関係、仕事、お金、健康、容姿のこと。

例えば

・大切な人との別れ

(裏切り、最愛の人の死、親子との関係、

愛していないのに別れられない)

・老化への恐怖

(容姿が衰える恐怖、自分の容姿を受け入れられない、

自分の振る舞いに自信が持てない)

・病気

(病の苦しみや痛み、漠然とした心の痛み、

強いコンプレックス、劣等感)

・死んだらどうなるのか

(または死そのものの恐怖、

世界の構造や人生の真理に触れたい)

わたしの「能力」のひとつに愛を視覚化させるというものがあります。

ただ...「愛の可視化」のお話は刺激が強すぎるので、贔屓にしていただいてから長いお付き合いの方(7年以上)にしか話せていません...。

今回のお手紙では「愛の可視化」のエッセンスを含めた、独自の対話の仕方についてお伝えさせていただきますね。

沈黙と余白こそ運命

「沈黙と余白こそ運命である」というDESTINY独自の哲学に沿いながら、話す時は目的をもってシンプルな対話を心掛けること。それに加えて「沈黙」の時間を大切にすること。

目的をもってはなしはじめることでお互いの前提が共有されます。

この前提のボリュームが多いと話す時間が長くなり、途中で何のために話しているのか
わからなくなってしまい、迷子になるのでシンプルに要点をまとめることも大切ですね。

そして「沈黙」と「余白。」
この瞬間にこそ対話の本質が詰まっているとわたしは考えています。

対話というものは相手の内神さまと自分の内神さまの交流であり、
沈黙という時間があるからこそ「みずから」の内神様とつながるのです。

そうすることで「おのず」とその空間はお互いの深い部分にアクセスしたものとなります。
その瞬間おたがい深い部分で大きなうなずきが起きることでしょう。

ご相談を受ける時はその人の運命の音を聞きながら、
出来事の背景に隠された愛を見ています。

その人が自分の力で自分だけの答えに辿り着けるようにその人の「いのちの器」になる。

一緒に「あの日」の続きの空をみながら、これまでの運命に想いを馳せて、
これからの運命をみています。

『イノチヲハコブトカイテウンメイ』

その流れが美しすぎてついつい言葉を失う。
その人が自分だけの答えに辿り着いた瞬間だから。

というのも、

過去のわたしもスピリチュアル・ペインに悩み、数々のメンター(っぽい人)に翻弄されて、いろいろなことに苦しんできました。

時には大金を騙されたこともありますし、時にはメンターから助言のていで、人格否定や人生そのものを否定されるようなこともありました。

なぜ、わたしはその経験を乗り越えて生きてこれたのか?

その経験を受け入れてくれる「いのちの器」との出逢いがあったから。

その時間を経て、わたしは「自分自身にとっての本物のスピリチュアルとは何なのか?」を思い出せたことで自分の運命を愛せるようになりました。

暗雲のようにわたしの人生に覆いかぶさっていた不安が晴れ、本当の安心感を得ることができたのです。

「スピリチュアルは本来、人を依存させるものではない」

「真のスピリチュアルは、どこまでも人を自由にするものだ」

イノチヲハコブトカイテウンメイ

「なぜ生きるのか知っている人はたいていどんなふうにでもいきていける。」

運命が交差した出逢いによって満たされた愛は「いのちの器」から忘れたくないこと、忘れられないこととして溢れ出る。その一滴、一滴が可視化されカタチを成したもの。

それが、今日のお手紙につながっています。

だからこそ、このお手紙はわたしの手で書いてるのではなくて

「運命に愛という筆を明け渡しながら書いている」そう思って、止まないのです。

もしもあなたが いろいろなものを学んできたにもかかわらず、運命や愛に悩み人生に迷子になっている感覚があるならば引き続き、お手紙に触れてみてくださいね。

その意味は、ふとした時にわかるはずです。

『大きな流れはいつも小さなきっかけから』

あなたとあなたの大切な人の人生が愛で満ち溢れるものであり続けますようにとの願いを込めてDESTINYからのお手紙をお届けさせていただいています。

「このテーマについて知りたい」
「こんなサービスがあったらいいな」
「今、こんなことで悩んでいます」

あなたの声をぜひ聴かせていただけませんか?

https://docs.google.com/forms/d/1cmI3soV5IdmhqFvLVkQw0pNYEtJqS07syR2NuVXk0xk/edit

One Reply to “「いのちの器」としての生き方”

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